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ユダヤ人皆殺し計画


1941年6月21日、ヒトラーはソ連にも攻め込みました。
ここにも、多くのユダヤ人が住んでいました。
ドイツ軍と共に「アインザッツ・グルッペン(移動特務班)」がユダヤ人をかり集めては、銃殺していきました。



このころから特にヒトラーのユダヤ人に対する迫害が激しくなっていきました。
ユダヤ人は、大きな穴を掘らされ、そこが彼らの集団墓地となりました。
移動特務班はかつてのソ連領土内の多くの場所で、8ヶ月以上にわたり、
およそ100万人ものユダヤ人を殺していったのです。
 ナチスは、ヨーロッパに残っているユダヤ人も、同じように全滅させることを決定しました。
1942年1月20日、ベルリン郊外のヴァンゼーで会議が開かれ、
そこで全ヨーロッパに住む1,100万のユダヤ人抹殺計画が決定されました。
それは「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼ばれました。
■絶滅収容所

今までの方法ではこんなに多くの人々を殺すことは不可能でした。
そこで六つの「死の収容所」、絶滅収容所が建設されました。
それは殺人設備をもつ、死の工場だったのです。
ヘウムノ、アウシュヴィッツ、マイダネック、トレブリンカ、ソビボル、そしてベウゼッツ。
すべて、最も多くユダヤ人が住んでいた国、ポーランドに作られました。
 絶滅収容所が完成すると、ゲットーではユダヤ人が集められ、移送されていきました。
ナチスは「おまえたちを東に移し、そこで生活し、働けるようにする」と彼らをだましました。
ユダヤ人は、自分たちがどこへ行くのか知りませんでした。
ナチスは彼らが恐怖や不安をもたないように、うそをついて安心させ、
ユダヤ人は自分の荷物をまとめて、移動のために集まりました。